のんびり、ゆっくり。時々突っ走り日記。

キャリア関連、日常の思いつき、働きかたの変化を綴っていきます。

人は自分にこれから起きる出来事をどう感じるかわかっているのか。

今日はこの本の7章から取り上げてみたいと思います。
本自体は無意識と意識について扱ったもので、適応的無意識がメインです。

いきなり7章スタートなのは読書会の担当章だったからでもあるのですが 書いておきたい章だったので、唐突に。

iPad Proで書いたもの。結構書きやすいのでお気に入りのメモ、まとめ方法です。 このブログ内容の大枠は書いてあります。

今回触れる話の要約

人って欲しいものが手に入るとずっと幸せが継続すると思うし 大事な人を失うなど悲しいことが起きたらずっと立ち直れないだろうと思う。(継続バイアス) けれども感情は常に元に戻ろうと平常の状態に戻る。 (感情がうまくコントロールせずに後者が続くケースはあるのだけど) そしてそもそも1つの出来事以外にその出来事が影響して他の現象が起きたり、それ以外にも身の回りのいろんなことが起きるから、1つの出来事が全影響受けないですよねっていう話です。 (焦点バイアス)

これを踏まえると人の幸せって、不幸ってとても儚いものなのではとふと思ったわけです。

ではこの章の内容をざっくりまとめつつ、考えるきっかけにしていただけたらと思います。 (※引用は左に線が入ったもの、本からの要約は斜体にしています。)

無意識に人はいい方向に選択している

将来の出来事に対して自分の情動的反応について予測しなければならないのである。

健康と不健康、お金持ちと貧乏、結婚と離婚、ただこれらの出来事通りで比べたらそれぞれ前者のほうがいいことを知っていて、大小問わず決定するときにどの程度自分が嬉しいかを予測して判断しています。 その瞬間の自分の反応だけでなく、それが継続するかも本当は知る必要がある。 けれどもずっと幸せが続くだろうと思ってしまう。 それが持続バイアスという将来の情動的出来事に対する反応の持続時間を過度に見積もってしまう傾向があるとのこと。

以下は具体的な例についてです。

最高の体験にあげる宝くじ当選はしあわせ?

最高のことはなに?と言われて宝くじがあったらとよくいうけれど、実際にあたった人はその瞬間は幸せだが、そのあと幸せでないケースがある。大金をもつことによって周りの人がかわり、その人間関係に苦しむケースがあるからだ。 宝くじに当選することが幸せになるのではなるわけではなく、それどころか大きな不幸され背負いかねないと知っていたら、苦労して稼いだお金を宝くじ券にどっさり費やすのをためらうだろう。 それにもかかわらず宝くじの利益があがっているのは、お金で愛情や幸せが買えると信じていることを裏付けている。

大事な人がなくなったら決して立ち直れない?

逆に最悪な自体には大事な人がなくなることをあげる人が多いそう
立ち直れない人がいる一方で早く立ち直れる人がいる。
* その死に何らかの意義を見出すことができるかどうか
_ →なくなった人は死をちゃんと受け入れていた など
* その経験に何か肯定的なことを見出すかどうか
→なくなったことはとても悲しいけど、これを機に家族の絆が深まったなど_

日常の情動的出来事に対する反応でも、人は驚くほどの回復力がある。

目標達成までが楽しい?

目標に向かって努力している最中はフロー状態で楽しく、達成された瞬間に一気に喜びが高まるがそのあと平常に戻り、また違い目標を探している

自由を無意識に選択しなくなっている

金も食べ物、名声も愛もほしいものをなんでも定期的にあたえてくれるが、増やしたり減らしたりコントロールできないことと一日8時間部屋のなかで「何もせずに」を過ごすことが引き換えの場合と、最低限暮らせるだけのお金はあって、好きなことやり放題の状況だったら、これだけ極端だと後者を選ぶ人多い。しかし日常生活では前者のような生活を選び、退屈なルーティンの仕事を選びお金をもらえる職業を学生は求めている

大きな喜びを得ると今までしていた幸せが減ってしまうときもあるし、そうじゃないときもある

5万ドル宝くじ当選したひととしてない人では幸せの程度は変わらなかった。そのうえ友人と話したり、テレビでおもしろいジョークを聞くなどの日常の楽しさが当選した人よりも低く評価するようになった。生活の中でありふれた喜びは、大金獲得という大きな喜びと比較され、見劣りしてしまった でも自分の経験を個々に切り出し、極端な経験と比較しないこともある。 美食家でも昨日の食事と比較して今日の食事食べていて、一番おいしかった料理と比較していないこともあるように。

起きた出来事に対して後付けする

出来事が起こったときは確かにこたえるが、私たちはすぐにそれを再解釈したり合理化したりして、痛みをかわる方法を見つける。私たちは自尊心に対して脅威となるものを同定し、その脅威を中和する方法を見つける、心理的免疫システムも持ち合わせているのではある。 例としては面接に落ちたときに面接で仕事で無関係なこと言われておちた場合と、仕事と密接に関係する質問のみされた場合とでは前者のほうが面接官のせいにして合理化することが容易で立ち直りやすかった。

ひとつの出来事がすべてに影響しそうに思えてしまう

さまざまな外的出来事が、自分の思考や感情にどれほど影響を与えるかを考慮し忘れるのが焦点化バイアス。そしておそらくより重要なことは、目新しい出来事も、心理的通常化のプロセスを通して、素早く平凡なものと思えるようになることを予測できないということだ。>

ここからは私が思ったつぶやき。

起こったあと何が起こるかをちょっと想像してみるのが大事

たぶんこの一言に尽きる気がするんですね。 人は無意識にこれがよさそうと判断するけれど、その後の影響ってどうだろうって考えたうえで選択すると、選ぶ選択肢が変わるかもしれない。

結果にフォーカスしたサービスが多いけど

きっと手に入れたら幸せになるだろうって思っている前提で世の中動いている気がするんですね。 でも手にしたあとどう自分自身が変わっていくのか、周りが変わっていくのかにはフォーカスされにくい。後で困ることって色々あるのではないかなぁとこの本を通して思ったわけです。

大学受かる、就職する、結婚する まずはそれが実現されるまでをゴールとしているビジネスが多いのは成果がわかりやすいことに過ぎないのですが、実はそのあとどうするか、自分がどういう気持ちになるかを一緒に考えるところって少ない気がするんですよね。個人的にはそのあとにフォーカスしたサービスもやりたいなと思ったり。

この本では現象を説明しているわけなのですが、未来となると想像したとしても思わぬことが他にも同時で起きることも、違う感情が芽生えることもあるわけなので、そこを再度立て直す支援もあっていいのだはないかなぁと思ったわけでした。

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本のリンクをもう一度はるとこれですね

長文になってしまいましたが、読んでどんなことをあなたは感じましたか?