のんびり、ゆっくり。時々突っ走り日記。

キャリア関連、日常の思いつき、働きかたの変化を綴っていきます。

「人のやりたいこと、笑うな!!!」

〔前置き〕

ふと、やりたいこと一生懸命やると笑われるというか、なにやってんだあいつ、といった批判を直接うけることは私自身結構あったなと思って、それを孤独に感じたなと。 やりたいことをやめて、目立たないようにしてしまった子、やっていることを隠しで目立たないようにする子とかいたなと思って、、そんなことを思い出してちょっと書いてみます。

やりたいことがないと今いっている方のなかには過去にこの批判されたり、からかわれた経験からいつのまにかやらなくなってしまった人もいるのかなと思うので、心当たりありそうなかたは思い出してもらえたらなと思います。

タイトルのセリフ引用元について

いまやっている金曜ドラマ チア☆ダン2話を先日偶然みたのだけど、青春ドラマで、部活作ろうと部員募集に奮闘する同好会メンバーが描かれていたのですね。 最後2名を集めるために終業式で踊って全校生徒に仲間にならないか呼びかける場面で 地味で今まで勉強オンリー的な委員長が私やりたいって入りたいと叫んだときに 「委員長がやるのは似合わないとみんなざわついて笑う」シーンがあったのです。

そのときにかばうセリフが 「ちょっとそこ笑わんといてくれるか!人のやりたいこと、笑うな!!!!」 でした。

一生懸命、頑張ろうとすることへの疑問

思い返すと特に中高時代って「一生懸命にやりたいことをやること、挑戦しようとすること」を笑う文化って生徒間にあった気がするんです。 「あいつ一生懸命になっちゃってさ、ださい」っていうかたちで。一生懸命なのカッコ悪い的な。 それが勉強、部活以外だと余計、批判の的になりやすいというか。

ちょっと私の話をしますと

私の中高時代は当時WEBの教材コンテスト、生徒会、文化祭の広報、合奏祭でピアノを弾くなどなど課外活動に夢中だったんですね。 でも周りの目はとっても冷たかった。 目立とうもんなら、ものなくなってることもあったし。。 敵じゃなくて、やりたいこと一緒にやる人がほしかったんだけどなぁ。。 一緒にやるはなかなか見つけられませんでしたw 当時は少なくも存在価値を認めてほしかったんだと思います。 褒められたいとかより、そういう人もいるのかと受容してくれた先生や同級生には感謝。

そういう声を無視できるほど私は強くなくて、語れる人をほしかった私はとても孤独で、 大学も会社に入ってからもずっとそういう人をさがしていたのかなと思います。 何度か挫折しそうになって、それでも好きなことやろうと動いたら少しずつ認めてくれる人が増えて 行動が加速してきたなと最近思います。

そもそもなぜ批判してしまうのだろう

他の人と違うことへの違和感、自分にはできないという劣等感、そんな頑張っても意味がなかった経験からくる諦め、やりたいことがあって羨ましいと思う感情の裏返し、スマートじゃなくてダサい、自分が器用貧乏で単純に必死にやることが理解できない など。 批判しちゃう人側にもいろんな理由や自分のなかの矛盾があってそういう行動にでているのだろうなと考えることができます。

批判されたことでやりたいことをやめてしまった人いるのでは?

やりたいことがないですーっていう人のなかに 過去に否定された経験を持っている人がいるケースがあります。

やりたくてやったことを否定されたり、いけてないといわれたり、聞いてもらえなかったり。 褒めてくれたらもっと嬉しかったかもしれないけど、そもそもやったことをただ認めてほしいだけなのにその経験なく、好きなことを批判されて普通に接して傷つくことをやめた経験。

もし言われてやらなくなってしまったことが思いつくならちょっとだけまたはじめてもいいかもしれません。 そして今度は違う場所で披露したり、はなしてみたら違う反応がくるかもしれません。

少なくとも私は、あなたのそのやりたかった話、聴きたいなって思います。