のんびり、ゆっくり。時々突っ走り日記。

キャリア関連、日常の思いつき、働きかたの変化を綴っていきます。

日常のちょっとした常識はどこまで知っておくべき?

ふと餃子を酢で食べることが自分のなかで当たり前じゃなくて、それをいったら常識しらず、世間知らずと言われた。思わず別にしらなくてもよくない?と反発した自分がいる。 言われてみれば中華屋さんに酢があった気もするし、それで食べたことがあるなと、全然関係のない喫茶店の席の調味料置き場を見て思ったけど、そのくらい私にとってどうでもいいことだったから覚えてなかったのだろう。

知らないとなぜか責められる、バカにされる

昔から知らないことが多かった。いや、冒頭の例のようにどうでもいいと思うと通り抜けてしまう。数回飲む人が最初になにをオーダーするかとか、好みとかそういうのは覚えたいなぁと思ってできるだけ常識とやらは覚えていない。 また調べればいい、みんなが知ってるなら聞けばいい。そのくらいなのかもしれない。

でもとぼけた質問をすると人は笑う。何もしらないと。

でも攻められたら数ミリでも凹む自分がいる

最近言われても、まぁそこ気にしてもいなかったからなぁ。。と寝たら忘れるぐらいにはなれたけど、ちょっと前まできにしていた。 自分は脳のリソースが足りないのかとか、情報が流れてしまうのかとか、興味あることしか覚えておけないのかとか、そのくらいに。

だれが決めたの?その常識

本屋の店頭には新常識○○が並ぶ、メディアが色々なものを流してくる。 歴史の教科書で1192鎌倉幕府と覚えてたのが1185鎌倉幕府と変わっていく。 当たり前と思うものなんて、たいていのことは変化していく。 最近そう思えたら、いっきに肩の荷が降りた。 簡単に調べたり、人脈があれば人に聞くこともできる時代。 他の人が知らない、少数しか知らないことを知るほうがおもしろい。

相手が知らないことに驚いてもいいけど、同じ感覚を持っているとは限らない

立場や育ってきた環境が違えば見えるものが違う。 違いに常識を押し付けがちだけど、前提が違えば会話がなりたたない。 アンジャッシュというお笑い芸人がよくネタで違うものを想定していると違うように聞こえるネタをやっていてそれがとってもおもしろいけど、あれはわかりやすく見せているだけど実際にああいうかみ合わない現状が気づかないうちに起きていたりする。

常識と思っていることが私のように無頓着な人だったら笑 全然通じないかもしれない。 最近そう思ったら会話がスムーズになった。

まぁ冒頭に戻ると 餃子に何をかけようが、あなたが一番好きなものをつけて食べて幸せならそれでいいのだ。

突然はじまる知らない人との会話。

ただの日常を描けたらと。

私はよく歩いていると話かけられる。 特にお化粧が薄くて、ぼーっとしているときは きまって年配の方に道を聞かれたり 赤ちゃんが笑いかけてくれたりする。

普段は外国人に道を聞かれたり この電車は○駅止まるかとか聞かれる。はじめての駅でも。。w

知らないことは一緒に調べる。 自分がわからないと窓口までいく。

この前コインランドリーにいったら おばあちゃんが使い方困っていて話したら いつのまにか生涯の話をゆっくり聞いてしまった。 暑くてしんどそうなので、なんとなくお水買ってあげてしまった。

今日なんて前触れもきっかけもなく 向こうから歩いてきた人に行列長いねーとか あれ、さっきでたばっかりなのにどうしたのとか なんだろう、普通に話しかけれてしまった。

初対面で話さないといけない状況で話すのは下手なのに 偶然出会った、また会うかもわからないその瞬間の出会いでの会話は なんかうまくいく。

これはどういう現象なのだろう。

ずっと時間をともにするわけでなく、 ちょっとした話しをしてさっていく一瞬の接点。 無理に繋がなくていい関係が、普段とは違う接点で居心地がいいのかも。 でもどこかこの一瞬が暖かい気持ちになって なんとなくほっこりする。

今日も平和だったなって。 最近物騒になってきたけど こんな一瞬の接点がたくさん生まれたら 優しい時間がふえるのかもなぁっと思ったりする。 みんなが好きかわからんけど。。

やっぱり私の基本属性はのんびり屋なんだと思う。

まとまりない、日記でした。

クーラー買うのがめんどい自分に気づいたとき。あなたは家事好き?本当は面倒?

はじめにとってもくだらない話。

先日冷蔵庫予約しようと思ったら、自動霜取り機能ないのでご注意くださいといわれ うわ、考慮もれてた!と思ってやっぱりやめて、 いざ買ったら今度は逆びらきなことに購入当日気づいて キャンセルして買い直して、通販で買い直すという手間を踏んだ私は 今度はクーラーを買わないといけなくなって もうめんどい。マイナス(効かない)→ゼロ(求める最低レベル)しか求めてないので 自分のこだわりポイントもわからないし、どうしようかなと思って考えると体調悪くなるから笑、数日放置してた笑

その話をお世話になってるコーチと話してるなかで、何が今不安かの話になったときにふと言ってしまって、そんな負担なら好きだし30分みるの付き合いましょうって一緒にみてもらってなんとなく自分が何を規準にしたいのか少しわかって、重い腰がちょっと動き出したわけでした。

家事ってどのくらいの人は好きでやっているのだろう

最低限のレベルですら保つのって正直面倒だし、マイナスをゼロにする作業なので永遠に続くのでこれをもうちょっと抱え込まずにやる方法はないものかと最近頭を悩ませていた。 昔から母親をみていると掃除、洗濯、買い物、料理とみているとそれだけで一日が終わることも多い。 よく旦那が手伝ってくれなくて、感謝してくれなくてって聞くということは好きな人がそもそも少ないのではないかなとふと思ったのだ。

これ、キャリアを考える身としてはまじどうにかしたい。 家がすぐ汚くなるっていったら、え!っていろんな人に言われて、その後いいにくいなぁっとおもったと同時に、え、面倒でもやるの当たり前じゃんっていう雰囲気にびっくりした覚えがある。

そもそもめんどい、嫌なことっていう発言をなんとなくしにくい雰囲気があって、それを個々の家で抱え込まないといけない状況がとっても不自然!w

キャリアって仕事だけじゃなくて暮らし方そのものなのだと

仕事の相談を乗っているようで、最近違う相談も一緒にうける場面が多い。 それは仕事の時間が確かに長いけれど、パートナーとか親、友達からの影響や世間的な当たり前もたくさんある。 でも、一日24時間って決まっていて、好きなことをやる時間を確保できずにやらないといけないことで囲まれるなんてとっても悲しいと思ったわけです。

なので、裏テーマ、家事の当たり前にも自ら実験台になって取り組みたいなとおもったわけです。

たぶん日常にこういう嫌だといってはいけなくて当たり前にやるもんだってことが多いと思うんだよなぁ。。そもそもそれをやらなくていいように他手段つかっても、手順を減らしてもいいはずなのにそれを考えないのはもったいなと。

だれかの苦になることがだれかにとっては好きなこと

たぶん私がクーラー検討するの面倒と言わなかったら、たまたま外ではなしてなかったら、一緒にみてもらうということは実現しなかったわけですが。 昔から私が苦手だったり、あんま考えたくないことはよく考えると好きな人いたなとふと思ったのでした。でも苦手といいにくくて、言わずでイヤイヤやっていたこともあって。。。 本当はそれよりも好きな人に付き合ってもらって、そのかわりその人の嫌なことやってあげられたほうが健全でみんなが幸せになるかなと思ったんですよね。 対価を払うほどでもないかもしれないけど、交換するのでもありなのかなと。 自分の当たり前に好きなことはだれかの助けになると気づくことは難しいと思うので、今度みんなのちょっと嫌だけど我慢してやっていることを集めたらおもしろいかなと思ったのでした。

ぼそぼそと書いてしまいましたが、汚い部屋とかにはいたくないけど、家事を楽だったり、やりやすい形に変えるために仕組みかやらなんやらしてみたいと思った今日この頃でした。

漫画で確認する価値観トレーニング

理想の働きかたとか、職業といわれても考えてないとすぐ浮かばないものだと思います。 比較対象がないと語れないというか、そもそも自分の気持ちにすら気づかないことも。

キャリアに関する漫画って職業本は紹介されることが多いと思うのですが、そんな背景からあえて違うジャンルを紹介。

漫画 いつかティファニーで朝食を

等身大に近い女の子のリアルな悩みが書かれた漫画でいろんな場面で朝食がポイントになっています。朝食を軸に少しずつ理想の方向へと決断を重ねていく4人が描かれているというか。(こんないっておいて数巻しか読んでないのですが)

仕事だけがキャリアじゃない。いろんなことが複雑に絡んでいる

仕事だけじゃなくて、結婚とか出産とか、こういう風な人生を歩みたいとか 仕事の時間も含めてかもしれないけど、いろんなもの全部とおして考える必要があると思うんですよね。 仕事を変えるにしても親だったり、身の回りの大事な人だったりにも伝える必要があったり、職場の人間関係だったり、人との関わりって切ってもきれないからこそそれぞれにもケアが必要だったり。。複雑に絡み合っている。

そういうときに自分が「知らないうちに」我慢しているもの、選んだから仕方ないのだと諦めているものに気づくことって最初の一歩として必要だと思うんです。 誰かに話したらそんなのあたりまえとか、やるもんだとか言われてしまったことあるかもしれないけど、それをしんどいとかでもなんとかしたいって思うことは悪いことなんかじゃなくて。そういうの代弁してくれる漫画に触れるのもありかなって思うんですよね。 ほんの少しの変化でも変えていくと今が変わってくると思うんですよね。

自分のこれからどうしたいに真正面に向き合うのはしんどくても 漫画の主人公たちをみて、自分はこう思う、こう思わないとメモするのも自分の価値観を知るヒントになるかも。考えるストレッチしませんか。

ちょっと漫画で共感するか、どう思うかトレーニング!

本記事では主人公たちのセリフを一部引用してみました。 あーわかるわかる。をまずは味わってみませんか?

タイプA
ー朝食で動物性の食べ物はとらず、パンしかとらないタイプAに向かって友人が言ったセリフ
「自分を自制するの好きだよねぇーそういうところえらいなぁーて思っているけど もっと楽に考えればいーのにって思う時ある」

ーふと参加した合コンで自分の身の丈を初対面の人に言えてしまって楽になったときのセリフ
「飛び込んでみないとわからないことがある。それが必要かそうでないかなんて」

ー憧れの人からデートのお誘いがきて、久しぶりに男性を信じてみようとおもった瞬間
「だれかに甘えたかったんじゃなくて、必要とされたかったんだよね」

タイプB
ー専業主婦で頑張っているけど、他友人達が独身で自分の時間を過ごしていることに対して、友人にはなった言葉
「結婚することが必ずしもいい事だとも思わないし。 毎日毎日自分以外のことで生活に追われてて幸せ実感する暇ないよ。 たまーに旅行に行ったりして遠くにいる家族を眺めているとき幸せだなって思うことはあるけど。幸せって離れてみないとわからないもんだね」 「私ももっと自分の夢を追いかけたかったなとよく思う。ぜいたくな話だけどさ」

ー自分へのつぶやき(このあとプチ家出してちょっと解放されてましたw)
「私はこのままずっとだれかのためだけに生きるの?私だって仕事の話や好きなものの話を目を輝かして話したい。自分の人生を好きなように生きたい。」

タイプC
ー彼とのことで我慢を重ねてきたけど、だんだん窮屈になってしまった自分に対して。 「私、自分の気持ちに逆らいたくない。 自分勝手かもしれないけど、大事にしているもの、大事にしていたい」

ー仕事忙しくて、ふと上司に言われた忙しいのは「雑用」でと言われて傷ついた気持ち 「私がしていることって雑用なの?」 「毎日満員電車に揺られ、体がボロボロになるまでやっていることが雑用だとしたら仕事してる意味って何だろう」

タイプD
ーアホそうねと言われて、好きなように生きてきたけどちょっと迷いが生じた瞬間 「シンプルに生きたいのがなにも考えてなさそうってとらえられるなら仕方ない。私は好きな男に愛されて生活できるだけの仕事があって気の合う友達が数人いてくれればいいそれで十分じゃダメかな」

恋愛要素も多いけど、以下のも感情を確かめるのにはおすすめかなと。

人は自分にこれから起きる出来事をどう感じるかわかっているのか。

今日はこの本の7章から取り上げてみたいと思います。
本自体は無意識と意識について扱ったもので、適応的無意識がメインです。

いきなり7章スタートなのは読書会の担当章だったからでもあるのですが 書いておきたい章だったので、唐突に。

iPad Proで書いたもの。結構書きやすいのでお気に入りのメモ、まとめ方法です。 このブログ内容の大枠は書いてあります。

今回触れる話の要約

人って欲しいものが手に入るとずっと幸せが継続すると思うし 大事な人を失うなど悲しいことが起きたらずっと立ち直れないだろうと思う。(継続バイアス) けれども感情は常に元に戻ろうと平常の状態に戻る。 (感情がうまくコントロールせずに後者が続くケースはあるのだけど) そしてそもそも1つの出来事以外にその出来事が影響して他の現象が起きたり、それ以外にも身の回りのいろんなことが起きるから、1つの出来事が全影響受けないですよねっていう話です。 (焦点バイアス)

これを踏まえると人の幸せって、不幸ってとても儚いものなのではとふと思ったわけです。

ではこの章の内容をざっくりまとめつつ、考えるきっかけにしていただけたらと思います。 (※引用は左に線が入ったもの、本からの要約は斜体にしています。)

無意識に人はいい方向に選択している

将来の出来事に対して自分の情動的反応について予測しなければならないのである。

健康と不健康、お金持ちと貧乏、結婚と離婚、ただこれらの出来事通りで比べたらそれぞれ前者のほうがいいことを知っていて、大小問わず決定するときにどの程度自分が嬉しいかを予測して判断しています。 その瞬間の自分の反応だけでなく、それが継続するかも本当は知る必要がある。 けれどもずっと幸せが続くだろうと思ってしまう。 それが持続バイアスという将来の情動的出来事に対する反応の持続時間を過度に見積もってしまう傾向があるとのこと。

以下は具体的な例についてです。

最高の体験にあげる宝くじ当選はしあわせ?

最高のことはなに?と言われて宝くじがあったらとよくいうけれど、実際にあたった人はその瞬間は幸せだが、そのあと幸せでないケースがある。大金をもつことによって周りの人がかわり、その人間関係に苦しむケースがあるからだ。 宝くじに当選することが幸せになるのではなるわけではなく、それどころか大きな不幸され背負いかねないと知っていたら、苦労して稼いだお金を宝くじ券にどっさり費やすのをためらうだろう。 それにもかかわらず宝くじの利益があがっているのは、お金で愛情や幸せが買えると信じていることを裏付けている。

大事な人がなくなったら決して立ち直れない?

逆に最悪な自体には大事な人がなくなることをあげる人が多いそう
立ち直れない人がいる一方で早く立ち直れる人がいる。
* その死に何らかの意義を見出すことができるかどうか
_ →なくなった人は死をちゃんと受け入れていた など
* その経験に何か肯定的なことを見出すかどうか
→なくなったことはとても悲しいけど、これを機に家族の絆が深まったなど_

日常の情動的出来事に対する反応でも、人は驚くほどの回復力がある。

目標達成までが楽しい?

目標に向かって努力している最中はフロー状態で楽しく、達成された瞬間に一気に喜びが高まるがそのあと平常に戻り、また違い目標を探している

自由を無意識に選択しなくなっている

金も食べ物、名声も愛もほしいものをなんでも定期的にあたえてくれるが、増やしたり減らしたりコントロールできないことと一日8時間部屋のなかで「何もせずに」を過ごすことが引き換えの場合と、最低限暮らせるだけのお金はあって、好きなことやり放題の状況だったら、これだけ極端だと後者を選ぶ人多い。しかし日常生活では前者のような生活を選び、退屈なルーティンの仕事を選びお金をもらえる職業を学生は求めている

大きな喜びを得ると今までしていた幸せが減ってしまうときもあるし、そうじゃないときもある

5万ドル宝くじ当選したひととしてない人では幸せの程度は変わらなかった。そのうえ友人と話したり、テレビでおもしろいジョークを聞くなどの日常の楽しさが当選した人よりも低く評価するようになった。生活の中でありふれた喜びは、大金獲得という大きな喜びと比較され、見劣りしてしまった でも自分の経験を個々に切り出し、極端な経験と比較しないこともある。 美食家でも昨日の食事と比較して今日の食事食べていて、一番おいしかった料理と比較していないこともあるように。

起きた出来事に対して後付けする

出来事が起こったときは確かにこたえるが、私たちはすぐにそれを再解釈したり合理化したりして、痛みをかわる方法を見つける。私たちは自尊心に対して脅威となるものを同定し、その脅威を中和する方法を見つける、心理的免疫システムも持ち合わせているのではある。 例としては面接に落ちたときに面接で仕事で無関係なこと言われておちた場合と、仕事と密接に関係する質問のみされた場合とでは前者のほうが面接官のせいにして合理化することが容易で立ち直りやすかった。

ひとつの出来事がすべてに影響しそうに思えてしまう

さまざまな外的出来事が、自分の思考や感情にどれほど影響を与えるかを考慮し忘れるのが焦点化バイアス。そしておそらくより重要なことは、目新しい出来事も、心理的通常化のプロセスを通して、素早く平凡なものと思えるようになることを予測できないということだ。>

ここからは私が思ったつぶやき。

起こったあと何が起こるかをちょっと想像してみるのが大事

たぶんこの一言に尽きる気がするんですね。 人は無意識にこれがよさそうと判断するけれど、その後の影響ってどうだろうって考えたうえで選択すると、選ぶ選択肢が変わるかもしれない。

結果にフォーカスしたサービスが多いけど

きっと手に入れたら幸せになるだろうって思っている前提で世の中動いている気がするんですね。 でも手にしたあとどう自分自身が変わっていくのか、周りが変わっていくのかにはフォーカスされにくい。後で困ることって色々あるのではないかなぁとこの本を通して思ったわけです。

大学受かる、就職する、結婚する まずはそれが実現されるまでをゴールとしているビジネスが多いのは成果がわかりやすいことに過ぎないのですが、実はそのあとどうするか、自分がどういう気持ちになるかを一緒に考えるところって少ない気がするんですよね。個人的にはそのあとにフォーカスしたサービスもやりたいなと思ったり。

この本では現象を説明しているわけなのですが、未来となると想像したとしても思わぬことが他にも同時で起きることも、違う感情が芽生えることもあるわけなので、そこを再度立て直す支援もあっていいのだはないかなぁと思ったわけでした。

ご案内

こんな荒いブログで興味持つ人いるかわからないけど、読書会をまたやるみたいなので途中参加でも興味ある方はどうぞ。8/31夜実施です。 「自分を知り、自分を変える―適応的無意識の心理学」読書会 第3回 - connpass

※事前によんでくるのが必須ではありますが。

本のリンクをもう一度はるとこれですね

長文になってしまいましたが、読んでどんなことをあなたは感じましたか?

「人のやりたいこと、笑うな!!!」

〔前置き〕

ふと、やりたいこと一生懸命やると笑われるというか、なにやってんだあいつ、といった批判を直接うけることは私自身結構あったなと思って、それを孤独に感じたなと。 やりたいことをやめて、目立たないようにしてしまった子、やっていることを隠しで目立たないようにする子とかいたなと思って、、そんなことを思い出してちょっと書いてみます。

やりたいことがないと今いっている方のなかには過去にこの批判されたり、からかわれた経験からいつのまにかやらなくなってしまった人もいるのかなと思うので、心当たりありそうなかたは思い出してもらえたらなと思います。

タイトルのセリフ引用元について

いまやっている金曜ドラマ チア☆ダン2話を先日偶然みたのだけど、青春ドラマで、部活作ろうと部員募集に奮闘する同好会メンバーが描かれていたのですね。 最後2名を集めるために終業式で踊って全校生徒に仲間にならないか呼びかける場面で 地味で今まで勉強オンリー的な委員長が私やりたいって入りたいと叫んだときに 「委員長がやるのは似合わないとみんなざわついて笑う」シーンがあったのです。

そのときにかばうセリフが 「ちょっとそこ笑わんといてくれるか!人のやりたいこと、笑うな!!!!」 でした。

一生懸命、頑張ろうとすることへの疑問

思い返すと特に中高時代って「一生懸命にやりたいことをやること、挑戦しようとすること」を笑う文化って生徒間にあった気がするんです。 「あいつ一生懸命になっちゃってさ、ださい」っていうかたちで。一生懸命なのカッコ悪い的な。 それが勉強、部活以外だと余計、批判の的になりやすいというか。

ちょっと私の話をしますと

私の中高時代は当時WEBの教材コンテスト、生徒会、文化祭の広報、合奏祭でピアノを弾くなどなど課外活動に夢中だったんですね。 でも周りの目はとっても冷たかった。 目立とうもんなら、ものなくなってることもあったし。。 敵じゃなくて、やりたいこと一緒にやる人がほしかったんだけどなぁ。。 一緒にやるはなかなか見つけられませんでしたw 当時は少なくも存在価値を認めてほしかったんだと思います。 褒められたいとかより、そういう人もいるのかと受容してくれた先生や同級生には感謝。

そういう声を無視できるほど私は強くなくて、語れる人をほしかった私はとても孤独で、 大学も会社に入ってからもずっとそういう人をさがしていたのかなと思います。 何度か挫折しそうになって、それでも好きなことやろうと動いたら少しずつ認めてくれる人が増えて 行動が加速してきたなと最近思います。

そもそもなぜ批判してしまうのだろう

他の人と違うことへの違和感、自分にはできないという劣等感、そんな頑張っても意味がなかった経験からくる諦め、やりたいことがあって羨ましいと思う感情の裏返し、スマートじゃなくてダサい、自分が器用貧乏で単純に必死にやることが理解できない など。 批判しちゃう人側にもいろんな理由や自分のなかの矛盾があってそういう行動にでているのだろうなと考えることができます。

批判されたことでやりたいことをやめてしまった人いるのでは?

やりたいことがないですーっていう人のなかに 過去に否定された経験を持っている人がいるケースがあります。

やりたくてやったことを否定されたり、いけてないといわれたり、聞いてもらえなかったり。 褒めてくれたらもっと嬉しかったかもしれないけど、そもそもやったことをただ認めてほしいだけなのにその経験なく、好きなことを批判されて普通に接して傷つくことをやめた経験。

もし言われてやらなくなってしまったことが思いつくならちょっとだけまたはじめてもいいかもしれません。 そして今度は違う場所で披露したり、はなしてみたら違う反応がくるかもしれません。

少なくとも私は、あなたのそのやりたかった話、聴きたいなって思います。

ブログを改めてはじめてみます。

真面目にちゃんとしたこと書こうと思うと完璧を求めて今まで全然かけなかったので ふと書きたいことを書くブログを作ろうかなって思います。

ふと今思ったこと 気付いたこと やってみたこと、これからやろうと思うこと なんとなく読むと元気になったり、前向きになるかもって思うもの

団体ブログとは別の立ち位置なので どちらかというと私という個人にフォーカスした日記になります。

なので仕事と直接関係しないことも書くかもしれませんw 口調も日によって違うかもしれません。 そもそも書くことを大事にしたいのできっと文章もおかしいでしょうw

のんびり、ゆっくり。時々突っ走り日記。 スタートです。